顔色を伺うことが私の仕事だった幼少期
あいもかわらず"毒親"というテーマから離れないまゆげんさいです、どうもこんにちは🙋♀️
なんだか記事を書いていると、幼少期のことを思い出してきました。
走馬灯のように。
当時の感情とか、風景とか、気温とか。
前回の記事でも書きましたが、私は小さい頃、母の機嫌を伺うことを常に考えていました🤔
例えば服を選ぶ時。
どっちがいい?と聞くので「こっち!」というと、
「えー?色黒のあんたには似合わないわ、こーゆー色は。」
と言われ、
「だ、だよね!wじゃあこっちにする....」
のようなことは常日頃でした🙄
聞くくせに意見は聞いてもらえない。
聞いてくれないならまだいいんだけど、
ちょっと傷付けにくるw
厄介ですよ、ほんと。
こっちは傷つく準備を一切してないので、背後から真剣でぶった斬られるようなものです🗡
しかも相手はニコニコ笑いながらw
こんなことはよくあったので、いつしかわたしは頭の中でパターンを読むことが自己防衛の手段となったのです。
「どーせ◯◯って言われる」
「コンプレックスに思っている場所をグサグサさしにくるんだろうな...」
という風に、前もって危険予測をするわけですね。
当然性格はクソネガティブになります。そして自己否定感の強い人間になります。
そして、人を信じないという信念は近年まで根強く私の心を縛っていました。
おとなになった今でも母の顔色は伺ってしまいます😩
LINEの文章なんて、上司に送る以上に気を使います😂
本当に面倒だと思いつつも、なかなかこの習慣?は変わりません🤷♀️
幼少期からこんな状態が続き、お世辞にも「健全な親子関係」とは言えないにもかかわらず、やはり子は親に振り向いてほしい、愛情が欲しいという思いは心の底にあると思うんです。
私みたいな人いるかな...
というのも、
まーたどうせケンカになるのに、もしかしたら今度は楽しく出来るかも?と思って食事に誘ったり、
でもやっぱり無防備に傷つけられて、もう会いたくねぇ!と思った振り出しに戻る、みたいな人。
あれ?私がかまってちゃんなだけ?w
もしくはドM?ww
あれが愛情だったとは思ってないし、そうだとしても間違った愛情だというのは分かってます。
けど、もしかしたらこの先どっかで、
普通の親子のように出来る日が来るのかも?
と、少しですが期待を持っていたりもあるわけです。
子供の頃から抱えてた、憧れみたいなものなのかもしれませんね...
一生叶いそうもないけど!笑
何度か挑むんですが、毎度玉砕するんですけどね😂
期待はしてませんが、いつか穏やかに、普通の親子のように過ごすことができる日が来るのなら、、、
.....なんて、来そうもありませんけどね🤷♀️